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アクティブラーニングで考える選挙制度

#アクティブラーニング #ケーススタディ

北村貴先生による「政治学」では、選挙制度改革についてアクティブラーニングで学びます。1980〜90年代にかけて中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わる(選挙制度改革)激動の時代について書き下ろされたケースを通じて、政治における意思決定を追体験します。そもそも選挙とは国民によって政治家を選出する現代社会の民主主義の根幹をなす制度です。1994年までは日本の選挙制度は「中選挙区制度」で行われていました。その結果、先週の記事にあったように自民党内で汚職が相次ぎ、金に物言わせる金権政治となり、政治腐敗につながりました。


政治腐敗からの脱却を目指す


政治家にとって何よりも大切なのは、「当選」。当時の政治腐敗は「中選挙区制度」という選挙制度が原因でした。この制度は、同一選挙区から3〜5名選出され、同じ党内からも選出可能なため、党内での権力争いが起こりました。権力とは派閥の大きさであり、派閥の勢力拡大には膨大なお金が必要でした。1988年にはついに民間企業から贈収賄をしたことが世間に露呈し、国民の信用を失いました。
この政治腐敗に終止符を打つため、選挙制度改革を掲げたのが海部内閣でした。一つの選挙区から一人を選出する小選挙区と、人物ではなく政党への投票数で議席数を獲得する比例代表並立制を組み合わせた「小選挙区比例代表並立制」を導入しようと立案しました。この選挙制度が成立すれば、中選挙区制度のように同一選挙区内の議席を獲得するために党内同士での派閥争いもなくなり、金権政治から脱却できると考えたのです。
しかし、自民党は改革により選挙制度が変われば、多数の議席数獲得が難しくなると危惧します。そこで、発生したのが「海部おろし」です。海部内閣の政治改革法案が衆議院で廃案され、海部氏は衆議院の解散で対抗しようとしますが、自民党内で反発が強まり、海部おろしが勃発。海部は無念にも内閣総理大臣を辞職することになりました。

非自民・非共産連立政権の奮闘

海部内閣の後を担った宮沢内閣も、選挙制度改革に消極的な多数の自民党員の意見を集約できずに改革は失敗に終わりました。
その後自民党は分裂し、戦後初めて過半数の議席を獲得できなかった自民党は野党に移行。非自民・非共産連立政権の細川内閣が発足しました。総理大臣である細川護煕は国民からの指示も多く、世間では選挙制度改革に対する期待が高まっていました。しかし、選挙改革法案が参議院で否決され、最重要課題として掲げた選挙制度改革が頓挫しそうな危機に陥ります。
そこで、学生は細川護煕総理になったつもりで、このままでは潰れてしまいそうな改革を実現するために、どのような選択をするかを考えました。「改革実現が第一なので、自民党内に有利な案での改革で妥協する」、「与党内部で反対している社会党議員を、自民党を倒せる好機だと説得する」、「自民党のさらなる弱体化を狙い、改革に賛成している自民党の若手を味方に引き込む」など様々な意見が交わされ、議論は白熱しました。

政治を握るのは国民の一票

結果として、議席数を自民党に有利な形で譲り、細川内閣は自民党と妥協しました。このようにして、曲がりなりにも選挙制度改革が成立しました。1994年に起こった汚職事件により国民の政治不信がつのり、改革の原案作成から成立まで5年もの月日が流れました。いったい何が原因で、選挙制度改革にそこまで時間がかかったのでしょうか?学生間で議論が起こります。「政治家が私利私欲のための権利を主張しすぎたため。」「国民に支持され選挙に当選することが必要だから。」「政治家の本質は経済や国民の生活の向上のための政策を行うことだが、利益を最大にするために合理的に行動したから。」

中選挙区制の時代では、政治は政治家自身の欲の上に成立していました。しかし今回の改革が実現できたのは、政治腐敗に対して国民の怒りや失望の声が多く挙がったからです。大前提として、国民があって政治家があります。そして国民の選ぶ政治家が政治的決定を行います。自分の地位を危ぶまれる危機感を持った政治家たちは、結局国民に媚びを売る形で改革を実現させました。
選挙によって政治が変えられると思っていない方も多数いることでしょう。しかし、政治家生命を握っているのは国民の一票です。私たちの意思によって政治を託す人間を選ぶことができます。今回の講義はアクティブラーニングを通じて、最終的な政治の判断や意思決定を行う政治家の立場になり、選挙制度改革について考えました。