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商学部:終戦後、生保会社の資本家経営者が選んだ道《黒木教授》

商学部:終戦後、生保会社の資本家経営者が選んだ道《黒木教授》

本学商学部の教員、黒木達雄先生の論文「終戦後の生保会社再建における所有と経営の分離」をご紹介します。黒木先生はコロンビア大学経営大学院でMBAを取得され、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程を修了されました。第一生命保険やスタンダード&プアーズといった金融業界における約20年の実務経験をもとに、保険論やリスクマネジメント、企業評価・格付を専門に研究されています。

終戦後にGHQ が推進した経営民主化政策により、国内生保会社の資本家経営者は、所有と経営の二者択一を迫られました。その結果、多くの資本家経営者は所有を放棄し経営陣にとどまり、相互会社形態の第二会社設立への道を選択しました。本論文では、終戦後の生保会社再建において所有と経営の分離を迫られた各社の資本家経営者が、いかなる理由により第二会社設立へと進んでいったかについて、過去の論文で取り上げなかった中小生保3社(板谷生命、新日本生命、第百生命)を対象に分析を行い、解明を試みています。

  


終戦後の生保会社再建における所有と経営の分離
黒木 達雄

1.はじめに
 第二次世界大戦以前の国内生保会社の経営にみられる一つの大きな特徴として、当該企業の大株主が経営者であった事例、いわゆる「資本家(株主)経営者」の存在が挙げられる。財閥系生保会社では財閥持株会社の幹部社員が経営陣に名を連ねるケースが通例であったが、非財閥系生保会社では大株主自らが経営トップを務めるケースがよくみられた。
 こうした情勢を一変させたのが、終戦後にGHQ が推進した経営(経済)民主化政策であり、これにより国内生保会社の資本家経営者は、所有と経営の二者択一を事実上迫られたのである。結果からみれば、多くの資本家経営者は、終戦後の生保会社再建において、後述する相互会社形態の第二会社設立を選択した。すなわち、株主の地位(=所有)を放棄し、経営陣にとどまる道を選択したのである。
 このことは、Berle and Means(1932)が指摘した当時の欧米における所有と経営の分離現象―株式保有の分散による経営者支配の普及―とは大きく様相を異にしている。終戦後のわが国生保業界でみられた所有と経営の分離現象は、まさに外圧的要因によって強制的にもたらされた特異な現象だったのである。
 本稿では、終戦後の生保会社再建において、経営民主化の方針のもと所有と経営の分離を迫られた各社の資本家経営者がいかなる理由により、第二会社設立へと進んでいったかについて解明を試みる。なお、終戦後の生保会社再建に関連する筆者の研究としてはすでに、拙稿「財閥系生保の戦後の相互会社化―GHQ 指導説の検証―」(『保険学雑誌』第624号所収)、「日本生命の戦後の相互会社化―藤本談話のオーラルヒストリー分析を中心に―」(『保険学雑誌』第628号所収)があるが、本稿では、それら二篇の論稿では取り上げなかった中小生保3社(板谷生命、新日本生命、第百生命)を対象とした分析を行うこととする。

続きはNUCB Journal of Economics and Information Science Vol.60 No.1をご覧ください。