【イケアオープンレポート⑥】イケアとアクティブラーニング
イケア長久手のオープンから8日目。オープンして1週間が過ぎましたが、依然として店内は賑やかです。
そんなイケアですが、実は一度日本から撤退した経緯があります。
半世紀前にも名古屋にイケアがあった!?
今から45年前の1972年。名古屋駅にある名鉄百貨店にオープンし、この時は東京都渋谷にある東急百貨店と並んで国内最初の店舗でした。
しかし、名古屋の店舗は1981年に閉店。イケアとしても1986年に日本から撤退を決定してしまいます。
なぜ撤退したのか
イケアが日本に最初に参入した頃、まさに高度経済成長が終わり、オイルショックの時期とも重なります。逆に、イケアが撤退した頃にはバブル経済が始まった頃でした。参入した時代の日本人の考え方に合わなかったことや当時の経済状況などによって、イケアは日本での体制を整えることができずに撤退してしまうのです。
当時(1970年代、1980年代)、日本の市場と消費者は、イケアを受け入れる準備ができていなかった。イケアもまた、日本での準備が間違いなくできていなかった。
- Tommy Kullberg, CEO, IKEA Japan, 2006.
日本への再参入
2001年、イケアは日本への再参入を決定し、2006年に1号店となるイケア船橋をオープンします。神戸や仙台にも大型店舗を次々と展開し、今回の長久手店はイケアとして国内9店舗目の大型店舗です。
「日本での失敗と再参入の成功」から学ぶ経営戦略
名古屋商科大学では、アクティブラーニングによる講義が行われています。前述したようなイケアの事例(ケース)も例外ではありません。実際に経営戦略の講義では、イケアのケースが取り上げられました。
- なぜイケアは日本で失敗したのか
- そこからイケアは何を学んだのか
- どうすれば日本で成功できるのか
- さらなる事業拡大をするとしたらどのような戦略をとるか
などの問いかけに、学生たちは各々の意見を出し合います。
- 日本の家具業界がイケアの思い描いていたものと違ったのではないか
- 当時のパートナー企業との連携がうまくいっていなかったからだろう
- 郷に入っては郷に従う、日本ならではの出店形式をとることが大事だと思う
こうして、学生一人ひとりが「イケアの社長だったら」という立場になり、企業の経営戦略を深く学んでいきます。
アクティブラーニングでは、教室で座って講義を聞くだけでなく、自らが考え、その事例を追体験します。今回のイケアのケースのように身近なケースも交えながら、学生は「主体的な学び」を習得していくのです。