学部学科

Academic Programs

経済学部

BSc in Economics

  1. TOP
  2. 学部学科
  3. 経済学部
  4. お知らせ
  5. 経済学部:日米貿易とホノルル港《堅田教授》

経済学部:日米貿易とホノルル港《堅田教授》

経済学部:日米貿易とホノルル港《堅田教授》

本学経済学部の教員、堅田義明先生の論文「1930年代に至る日米貿易とホノルル港開発」をご紹介します。堅田先生は慶應義塾大学経済学部を卒業された後、UCLA(University of California, Los Angeles)歴史学部博士課程を修了され、Ph.D.を取得されました。日米関係史や戦略論などをご専門に研究されています。

20世紀初頭から1930年代前半に至る時期の日本最大の貿易相手国は米国であり、この日米貿易における主要航路はホノルル港経由でした。本論文で先生は、日米貿易においてホノルル港が果たした役割を、その取り扱い物資の量的・質的変化に注目し吟味しておられます。またホノルル港自体の輸出入に対する現地日系人の影響にも着目されています。これらを踏まえて、ハワイ諸島経由及び同諸島自体の日本及び米国本土との物資の流通を分析した上で、最終的に太平洋唯一の米国主要港としてのホノルル港開発の変遷と、日米間の物資と日系移民の流れがいかにホノルル港の変化に影響を与えたのかについて論じておられます。


1930年代に至る日米貿易とホノルル港開発
堅田 義明

はじめに
 本稿の目的は20世紀初頭から1930年代前半に至るホノルル港開発を考察することである。理由はこの時期の日本最大の貿易相手国は米国であり、日本の対米貿易は主として米国太平洋岸主要貿易港との間の海上輸送を介したからである。そして、この日米貿易における主要航路がホノルル港経由であった。したがって、日米貿易を担う太平洋航路の結節点となるホノルル港の時代的推移を辿ることは当時の日米貿易の特徴を理解する一助となると思われる。
 ただ、太平洋を挟んで日米間を往来した全船舶がホノルル港に途中停泊したわけではない。特に「北回り」でアリューシャン列島に沿ってその南方を航行した日本とシアトルを結ぶ航路もハワイ経由のものに比して運航数は少ないものの、もう一つの主要航路であった。また、ホノルル港そのものが単に太平洋航路の経由地のみならず、日米間の最初の出港地であり最終目的地の場合もあった。要するに日本と米国本土間の航海とは異なる、日本とハワイ間だけの旅客と貨物の輸送である。これも太平洋における日米間航路の見過ごせない一端である。
 これらのことを前提に、本稿では日米貿易においてホノルル港が果たした役割をその取り扱い物資の量的・質的変化に注目し吟味したい。また、ホノルル港自体の輸出入に対する現地日系人の影響にも着目する。これは当時、徐々に日系人口が増加し、現地では人種的に最大の比率を占めるようになったからである。したがって、彼らの商品嗜好が大なり小なりホノルル港取り扱いの日本からの輸入品目に反映されると推察できるからである。
 上述したことに配慮し、ハワイ諸島経由及び同諸島自体の日本及び米国本土との物資の流通を分析した上で、最終的に太平洋唯一の米国主要港としてのホノルル港開発の変遷に着目する。そして、日米間の物資と日系移民の流れがいかにホノルル港の変化に影響を与えたのかについても言及したい。

続きはNUCB Journal of Economics and Information Science Vol.59 No.2をご覧ください。